社会の先生をめざす人の思想史

社会科の先生をめざす、元サラリーマン。日々の気づき・学びをしたためます。

レポートが苦痛なのは、論じられるほどの知識がないからである。

どうも、お疲れ様です。

教員をめざして通信大学に通っている、アラサー学生ニートです。

 

レポートって苦痛(というかモチベあがらん)ですよね。今日は、なんでレポートがこんなに面白くないのかって考えてみました。

 

これは私が10年前の現役大学生だったときもそうだったんですが、改めて考えると、その理由は下記だなと思います。

①問いに対して、論じられるほどの知識がない

②「その問いに答えてやるぜ!!」という気概がない(自分なりの答えを出す気がない)

 

①に関して。

学生「授業で聞いた内容をもとにレポートを書くにしても、自分のなかで答えも出てこないし、何を書いていいかわかんない。勉強って面白くないなぁ~。」

 

甘えないで。あなたに知識がないだけ。

 

(ブッシュゥゥゥゥ流血 ←ブーメラン) 

 

そのレポートを書くにあたって、どのあたりがボンヤリしているのか。それを考えて、そのボンヤリを解決するべく、自分で本買うなり、図書館で本を借りるなり、スマホで調べるなりしてみよう。(本がいいと思う)

知識があると、格段に論じられるようになります。ていうか、何かしら論じたくなる。自分なりに根拠を持って、”私なりの一説”を出せるから。

 

②に関して。

学生「コピペコピペ…」

 

待て待て、いったん自分の頭で考えろ???

もしかして、考えるの苦手なのかな???

 

(ブッシュゥゥゥゥ流血 ←ブーメラン) 

 

レポートとは、客観的に提示できる根拠をもとに、自分なりの解釈や考えを述べるものであるはず。自分なりの答えを書けっつってんのに、自分の頭を使わないでどうする。

考えても分からない…のであれば、①に戻る。おそらく知識がないだけ。まずは情報収集。知識があれば、きっと自分なりの答えは出せる。誰でも出せる。

 

自分の好きな漫画の考察ならいくらでもできるけど、読んだこともない漫画の考察はできないですよね?あらすじ読んだだけでもできないですよね?実際に読んだり、アニメ見たりしなきゃ自分なりの意見が持てない。それと同じことだと思うんですわ。

 

というわけで、いきなりレポートを書き始めてしんどくなるのはもう辞めて、今日から自分が何かを論じたくなるまで、きっちり調べることにします。

 

頑張ろうね、自分。

 

 

人生やりなおしたい…とせっかく思えたから、めちゃくちゃ頑張ることにする。

今までの積み重ねで、今の自分があるんだし。

という考えで、これまでは自分の人生に対して、後悔をしたり、やり直したいと思っていなかった。

 

しかしそれは、本当に自分が好きなもの、なりたいもの、目指したいことに、本気で挑んでいなかったからかもしれない。

いま、30歳にして高校の地歴公民・中学社会(専門としては高校の倫理や政治経済などを希望している)の免許取得のため、サラリーマンを辞めて勉強に専念する生活を送っている。いや大学で免許とっておけよ…と他人から言われたこともあるし、実際そう思う人も多いんだろうけど、ぶっちゃけ私自身は今さっきまで、後悔はひとつもしていなかった。「まぁサラリーマンやらなければ、たぶん先生になろうなんて思わなかっただろうし」と思っていた。

 

私はもともと、哲学が大好きである。哲学者の考えを知ることは本当に面白い。そして、世界にたったひとつの正解なんてないこと、自分がこの世界をどう読み解くかは誰しもに与えられた自由であることを思うと、「哲学」という学問の奥深さと自由さに心がウキウキする。

しかし、高校時代は「哲学系の学部に進もうかと思う」とまわりに伝えたとき「哲学…就職しにくいんじゃない?」と言われたことをきっかけに考え直し、私の興味関心と近しい「社会学」の学部がある大学に進学した。その大学では、文系と理系を分けない文理融合をテーマに掲げており、私はあまり興味がなかった化学の授業なども必修として組み込まれていた。そんな授業ばかりを受けていると、学問の面白さを感じる機会が少なく、「私はなんのために大学に来たんだっけ」と思う日々。また、そのころ始めたアルバイトの店長さんは中卒だという話を耳にして「中卒でもふつうに正社員として働けてる。本当になんのために大学で勉強するんだろう?」と思ってしまった。そこから、あまり熱心に勉強しなくなった。アルバイトや部活、友達との飲み会にあけくれる。

大学時代で、学問の面白さに目覚めたのは4年生になって卒業論文を書くときだった。様々な学者たちの著書を読み、自分の糧としながら自分自身の問に答えを出していく営みは、とても面白かった。「学問って面白いじゃん」という気持ちが、ここで芽生える。(しかしすぐ卒業)

そんな学生生活を経て、ふつうの就活を行い、一般企業に就職し、サラリーマンになった。とくに勉強することもなく、漫画を読んだり、飲みに行ったりする日々。仕事はまったく面白くなかった。なぜこんなことをしなければ生きられないのか?と悩んだ。べつにいつ死んだっていいやとさえ思うようになった。「生きるために働いているのに、生きるための手段で死にたくなるなんて、本末転倒じゃん…人生ってなんて面白くないんだろう」そんなふうに考えていた。

社会人3~4年目のとき、本屋さんで『読まずに死ねない哲学名著50冊』という本に出合う。これが私の「哲学」の面白さを思い出すキッカケになる。そこから哲学にまつわる様々な本を読みながら、「哲学が人生で好きなものと言えそう。これを一生勉強したい」と思うようになる。1年ほどたったあと、友達と「もっかい人生やり直せるなら、何する?」という会話をする。「高校の社会の先生かなぁ。倫理を教えたい。好きなことを学び続けられて、学問の面白さを若者に伝えていける職業…最高じゃん」といった話をしたあと、「今からでもやればよくない?」と本気で考えるようになった。それがきっかけで、仕事と並行しながら教員免許取得のための通信大学に通い始める。2年経過するものの、なかなか単位取得が進まない。そこでようやく会社の退職を決意。順調にすすめば早くて再来年に、採用が決まりさえすれば教員になれる算段が整う。

 

そして今日。「教員免許が取れたら、どこの学校に就職しようか」と、就職について考えはじめる。調べれば、教員採用の人材センターなどがいろいろあるようである(私は、私立学校に就職したいと考えている)。さっそく登録しようと思い、自己PRを書くときに「自分のメリットでなく、学校や生徒のメリットを伝えないとな。自分自身の”教員になりたい個人的な理由”はさておいて、生徒にどういうことを伝えたいと思っているんだろう?」と考えてみる。「学問の楽しさを伝えたい」など、いろいろそれっぽい言葉はたくさん出てくるものの、自分が若者たちに本当に伝えてあげたい素朴な気持ちは「就職のためとかじゃなくって、好きなことを勉強するために、大学に行っていいんだよ」ということだな、と思った。「好きなことを勉強した経験は、きっと人生の糧になるから」と伝えてあげたいな、と。

そのとき、この30年の人生で初めて「もう一度16歳ぐらいからやり直せたらな」と思った。いま「就職とかキャリアとか、そういうことを気にせず、もっと好きなことを真正面から学んでおけばよかった」とつよく後悔している。実際就職するとき、社会学部だろうが哲学科だろうが、そこまで関係ないのではないだろうか。結局、「その人がどんな人か、うちの会社に合いそうか、合わなさそうか」その観点が一番採用には大きくかかわるのではないだろうか(人事をやったことがないので断定はできないが)。

…と、ここまで自分の経歴と後悔について語ってきた。そして、その後悔は「大学から好きな学部に行っておけば、もっと若いうちからいろんな哲学者のことを知る機会や、知的好奇心も刺激される機会が多く、もっといろんなことを今より早く知れてたし、勉強できてたんじゃないかなぁ」というものだろうと思った。

 

とはいえ、そう思えたのも、これまでの人生、つまり一番興味がある学部を選ばなかったこと、大学以降あまり勉強してこなかったこと、があってのことである。

よくいう話ではあるが、今日が人生で一番若い日。今日から、後悔を活かして死ぬ気で勉強しようと思う。

「会社を辞めてから、就職するまでの1年半、人生で一番勉強した期間だったよ」将来、そういえるように。30歳、新しいスタート頑張ります。

 

 

٩( ᐛ )و<ファイッ!アラサーファイ

 

 

 

10年も大人をしているが、この世界のことを何も知らない。

日本が好きな外国人のYoutuberの動画などを見ていると、

日本はおもてなしが素晴らしい国だとか、親切な人が多い国だとかって

外国に住んでいる人の視点から、日本の文化を高く評価する声がたくさん聞ける。

ずっと日本で暮らしている日本人にとっては、気づきにくい「日本の良さ」が分かる。

 

そういう話を聞くと、日本って結構いいんじゃん、

と嬉しく思ったりする。

 

しかし、ニュースを見たり、SNSで専門家のつぶやきを見たり、

本で読む限り、日本には問題が山積みのようだ。

(まぁ問題がない時代や国なんてないだろうが)

 

「そもそも現状っていいの?悪いの?」

「どうなったらもっと良くなる?反対に悪くなる?」

「日本だけでなく、そもそも地球全体のいまの仕組みってどうなの?」

 

そう考えてみると、まったくわからない。

日本のことだけでなく、この世界の仕組みやルールは

本質的に何をねらいとしているのか、

それはきちんと機能しているのか、

どうなったら現状が崩壊するのか、

30歳の私は、何も知らないことに気づく。

 

・税金ってどうなってんの?金額は妥当?

・国の支出を節約して税金を抑えることはできないの?

・資本主義社会ってどうなったら崩壊するの?

・そもそも民主主義って何?どうなったらベストな形?

・今の日本は民主主義がきちんと機能している国なのか?

少子高齢化がこのまま進むと、若年層の負担増以外だと何がやばいの?

・日本が先進国で居続けないといけない理由はあるの?

・もう一度、鎖国をするとしたら日本は崩壊する?日本人が何人くらいだと生きていけるのか?

…and more!

 

成人してから10年。

いっちょまえに大人ぶっているが、

いま自分がいる世界のことを、私は何も知らない。

 

このような問いは、勉強すれば自分なりに何かしら答えが見つかるんだろうか。

教員免許を取得する見込みは約2年後。

そのとき、今日答えられなかった問いに答えられるか、改めて自分に問い直したい。

 

がんばろうね、自分。

 

30歳ニート、現代ニッポンの税について学びます。

大学卒業して、某求人広告会社に新卒入社して丸7年。

正社員時代は給与から天引きされてた税金。

 

「まぁ、納税してるし???」みたいな気持ちでいたけど、

経理部が天引きしてくれてるだけで、

ひとっつも税金の仕組みについてはわかってなかった。

 

高校生の頃は、日本史を専攻して、

昔の税金「租庸調」とか、「年貢」とかは一生懸命覚えたのに…

現代の税金については、ひとっつも理解していない社会人30歳。

 

現代の農民層代表サラリーマン、

思考停止で納税しててどうする!!

 

社会の先生をめざす人間、そして所属組織がなくなったニートとして

ニッポンの税金について知り尽くす決意をしました。

 

今日からコツコツ学んで、未来の教え子に伝えられるようになるんだ。

がんばろうね。

 

٩( ᐛ )و<ファイッ!アラサーファイ

“10年以上愛用しているもの”は、とくだん愛しているわけではなかった。

お題「10年以上愛用しているもの」

よくよく考えてみた結果

●大学時代で一人暮らしを始めるタイミングで実家からもってきた食器

●同タイミングで買ってもらった新生活応援セット(洗濯機、冷蔵庫、炊飯器。もういつ壊れてもおかしくないレベルで稼働している)

●大学の演劇部時代、小道具班だったためダイソーで購入したお茶碗とみそ汁椀(もらった)

●実家からもってきた食器(ムーミンのシリーズ4枚)、ピーラー

 

あとはもう、この自分自身のからだと、

家族と数少ない友人と、

ツイッターアカウントくらいしかない。

 

10年以上愛せる物質というのは、私にとってはほとんどないかもしれない。

世の中、そんなもんかもしれない。

 

P.S.

60歳の私へ

お題で書くというのもあるのか…面白いじゃん、

こういうの好きだなと思って書いてみました。

これ…けっこう続けられるかもよ!?

(↑まだブログ歴30分くらい)

30年後、60歳の自分に向けて。いま考えていることを遺したい。

未来の自分へ。

 

30歳の私、ブログなるものを始めてみました。

本当はノートにペンで、日記をつけたいんだけど。

 

私がよく知っている通り、

もう数えられないほどトライしているものの

続いたことないじゃない?

だから文明の利器に頼って、ちがうメディアで始めてみることにしたよ。

(いつまで続くかな…)

 

ちなみに、この「30歳」は自分史にも残る転換点だと、現時点で感じてる。

・社会科の先生になろうと思い立つ

・新卒で入社した会社辞める

・10年住んだ大阪から、実家に帰る

・理想とする友情結婚(仮)に向けて、出会いを探し始める

…and more!

 

60歳の自分が見たときに、

「そういえばそうだったよなぁ」と思えるコンテンツになるように

いまの自分のことや、考えていること、したためていきます。

 

ウラ目標としては、こういうブログなどのメディアを通じて、

新しい出会いもあるといいよね。

(今まであんま、ブログって見たことないからさ)

 

ではでは、これからどうぞよろしくお願いします。